息子1歳6ヶ月
今日は結論の出ないモヤモヤをただ書き連ねただけの文章です。
あーでもないこーでもない、とグダグダいう回。
働くの好きだし、
働くと決めたし、
働いているんだけれど、
「お母さんが働いていて、家にお母さんがいないのが寂しかった」というエピソードを
聞いたり、読んだりするたびに、胸が締め付けられる。
息子にもそう言わせてしまうのだろうか。
すでにさみしい思いをさせているのだろうか。
と、頭の中がグルグルする。
結局、主人公を子供にするか、自分にするかによって答えは真逆になるような気がするし
それはつまり、子供を最優先に出来てないという証明でもあるように思う。
私自身は全くさみしい思いをせず育ってきたから余計に不安。
母親は専業主婦で家に居たし、
兄弟もいて いつも賑やか。
もちろん、いつも側にいる分、親には怒られることも多かったし、
兄弟喧嘩も毎日のようにするし、
ギャーギャーワーワーで親は大変だったと思うけれど
自分の人生を振り返って「さみしい」という感情を強く感じたことがない。
そんな私が、働く母親になって息子は週5で保育園。
しかも、今のところ二人目(息子にとっての弟妹)を生むという気持ちも湧かないまま。
私はその寂しさを知らないのに、
息子には強要してしまうなんて
あまりにも酷い話なような気がして。
そう思うなら専業主婦になればいいのかな。
生活切り詰めれば不可能ではないのだろうけど、
生活云々の前に、専業主婦になった自分が全く想像が出来ない。
専業主婦の母の元で育ってきたのに何故そうなったかは大いに謎。
でも、かと言って、別に、私はキャリアウーマンではなくてただの事務。一般職。
キャリアアップがあるわけでもなく、
何かを成し遂げるわけでもなく、
毎日、誰かのサポート役。
事務の仕事を馬鹿にする気はさらさらないけれど(私自身はやりがいもあるし、会社にとっても大事な仕事だと思ってるので)
ただ、働く背中を見せるってほどの、かっこよさが自分にあるのかと言われると
うーーーんと言葉に詰まる。
まぁ、かっこよくなくたって
仕事楽しい!って姿を見せることはできるんだけど
「それは、息子の向き合った“さみしい気持ち“を打ち消すほどの何かになり得るのか?」という問いにぶち当たる。
あくまでも想像だけど、
たとえば親がお医者さんで、仕事が忙しくて、自分はさみしい思いをしたとしても
大人になったとき、親の仕事の意義や助けた命の多さを理解したら、その寂しさは親への尊敬や自身の成長に昇華される可能性があると思うんだけど、
果たして、わたしが働くことは、息子にとってそういうポジティブな何かになり得るのだろうかというのは大きな疑問として残ってしまう。
と….まぁ散々書いたけど
仕事やめる気は今のところ全くなくて
でも、自分が働くことに疑問というか葛藤があるって事実を書き留めてはおきくて。
今はまだ、自分の気持ちを完全に言葉にできない息子に甘えているけれど
いつか「さみしい」「働かないで」と言われる日が来たとしたら
その時はまた、考えなきゃね。